夢を見たんです(11/18)
夢を見た。友だちの家に招待されて、遊びに行く夢。
グレー基調の高級感のある都会的な一軒家。
家に入ると、旦那さんが寛いでいた。旦那さんは友だちと出会ってから10年以上経っているであろうけど、目線と言葉でわかる、いまでも変わらずその友だちのことを「女」として見ていて、「好き」が溢れていた。そんな様子を私はうらやましく、微笑ましく見ていた。「この夫婦いいな。」って心から思った。夢はそこまで。
よく正夢を見るので、何だかこれも正夢になりそうな気がしてる。
ここからは現実。最近、急にちゃんと寒くなった。冬を感じる。
寒くなると、人肌が恋しくなる。
去年の恋を思い出す。30過ぎても恋人ごっこをしてた。
心から好きになったと思ってたけど、あれは遊ばれてたのかな。
はじめて「この人の子どもがほしい」と思った人。
たくさんの温もりを与えてくれた人だった。大好きだった。
叶うならもう一度、その人とちゃんと恋愛がしたい。
好きな人と両思いになりたいと思った32歳の11月。
これからもできれば(10/15)
2021年に公開された映画「花束みたいな恋をした」をプライムビデオでいまさら見た。
「見たいなあ」と思いつつも、「いつでも見れる」と思いながらずっと見ていなかった。
先週からはじまったドラマ「いちばん好きな花」が話題になっており、脚本家の生方美久さんがすきな脚本家である坂元裕二さんの作品だから、「ちゃんと見てみたい」熱が高まったから見るまでの行動に至ったんだと思う。
どちらの脚本家も、魅力は「リアルさ」と「共感」と「ことば選び」と「残酷さ」なんだよな。まあ、これはわりと、どこでも語られていることだとは思うけど、私の感想としても書こう。
まずは、公式サイトのあらすじの引用から。
参考:映画「花束みたいな恋をした」のSTORY
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った
山音 麦 (菅田将暉)と八谷 絹 (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。
こんな恋愛をまったくしてこなかったけど、恋愛のはじまりへの共感はわかる。
京王線ユーザーということもあり、「近所だなあ」みたいな場所もあった。
映画に出てくる「木村パン」では、つい最近クリームパンとチョコパンを食べた。
菅田将暉と有村架純と同じ道を定期的に歩いていることを自慢したい。
調布の川沿いのマンションに、趣味趣向が合う大好きな彼氏とふたり暮らしって、なんともうらやましい。そんな青春が欲しかった。
別れの原因にもなっていた仕事への考え方は、数年前までの麦くんだったけど、いまはすっかり状況も変わって絹ちゃんに変わったな。
どうして社会人になると、すきだった映画や本などのエンタメから遠ざかってしまうんだろう。
どうして、ゼルダができる体力は失い、パズドラのようなゲームしかできないんだろう。
ただ、これは社会人が皆が皆、そういうわけではないよな。
心を破壊される出来事を仕事を通して味わってしまい、それどころではなくなった人がそうなっているだけなんだろうな。これはすこし鬱にも近い症状なんだろうか。
これからどんなに仕事しても、できればずっと、仕事もすきなことをして、夢を見る絹ちゃんの考えでありたいとか、そんなことを思った。
あと、なんとなく、今年いちばん好きになった彼が花火を楽しむ動画をうっかり見てしまった。
0時の備忘録と本心と(10/15)
書いて思ったけど、私は、私が書く文章がすきだ。
たぶん、文章を本業にしている人からすると、乱文脱文だろうけど。
できれば、私が書く文章でごはんが食べられるようになりたい。
そこもぜひとも、叶えたいところだ。
それはさておき、本題に入ろう。
0時に書いた文章を振り返る。きれいな理想を語る、性格のよいの私の文章だ。
紛れもなく本心である嘘偽りのない気持ちを書き連ねた。
ここからは、もやもやしている部分を交えて書いていこう。
コピーライター事務所で研修生として、師匠のもとでコピーを書きはじめられたのは良かったが、9月の最終週以降、案件の連絡が一向にこない。
研修生としてもらえるお金はほとんどなく、手当金をもらいながら生活しているが、それも2月で終わるので、転職活動をはじめた。
9月最終週から10月の頭にかけて、面接の準備をしていたこともあり、そこに集中ができたのはありがたかったけれど、それでも、フラストレーションが溜まる。
9月の最終週に師匠から「面白い会社の案件を依頼するかもしれない」と言われたのはいいが、それ以来、全くもって連絡がこない。
宣伝会議賞の課題に挑戦してみる。なんだか、うまく身が入らない。
ただ、数年前よりも、コピーを書く愉しさみたいなのを感じられるようになった気がする。とはいえ、Notionに書き溜めて、応募するほどのコピーを完成できず、悶々としている。
そんななかで、なぜ0時にあんな文章が書けたのか。
それは、以前、師匠の会社にいた人の活躍を、いろんな記事で拝見できたことが大きいと思う。
「私もあんなふうになりたい!」というところだろうか。
師匠や環境に感謝を込めた文章を書くと、正社員になれるということだと思ったのかもしれない。
そもそも、私にもかなり原因がある。コピーライターになることへの覚悟が決まっていない。締切までに間に合う仕事ができるのか、とか、ADHDらしい「打ち合わせに遅刻」「MTGに集中できない」「失言をしてしまう」など、パニックを発生させて迷惑をかけないかとか、考えてしまっていた。
とはいえ、ADHDを公表している作家兼ライターのいしかわゆきさんの「ADHD、人にクソ迷惑をかけてる問題」のnoteを読んでいて、すこしは元気がもらえた。
もうさ、ADHDとか関係ないんですよ。迷惑をかけずに生きていくことなんてできない。
誰しも、すべてを完璧に遂行することは無理だし、エラーのない人生は送れません。
ゆぴちゃん、ありがとう。
私はいつも、ゆぴちゃんの文章で助けられている。
私もすこしでも前向きになって、誰かの1歩を助けられる人になりたい。
かつて、BLEACHの藍染惣右介は『憧れとは、理解から最も遠い感情だよ』と言ったけど、まさにその通りで、コピーライターになろうとしているうちはコピーライターではないし、経営者になりたいともがいているうちは全く経営者ではない。難しいよな。憧れを踏み抜いて、生き方を身につけるんだ。
— 三浦崇宏 GO (@TAKAHIRO3IURA) 2023年10月14日
いいねも、RTもしたけど、「憧れを踏み抜いて、生き方を身につけるんだ。」って何?どういうこと?
だらだらと考えを巡らせる備忘録(10/15)
コピーライター事務所で研修生として、念願のコピーライティングに携わっている。(ここでいうコピーライティングは企業のステートメントやブランドメッセージ)
もうね、ウッヒョ〜!やったぞ!やっとだね。
やっと、宣伝会議の課題でもなく、宣伝会議賞への応募でもない、実際に「ことば」を必要としてお金を払ってくれる人に、自分が必死で探して見つけた「ことば」を提案できる仕事ができている。
こんなにうれしいことって、あるのだろうかと思うわけです。
そして、心から「いいなあ」と思うことは、
師匠がピュアに熱く、コピーとクライアントに向き合っている姿勢が垣間見えること。そんな師匠に、私が提案する「ことば」をほめられるときは、ほんっとおおにうれしい。
前職では、「〇〇のビル燃えればいいのに」など、クライアントへの過激な悪口を言う人が社内にいて、それが私にとって、とても嫌なことだった。「きれいごとを言うなよ!」と言われるかもしれないけど、嫌で嫌で仕方ないことの、ひとつだった。思考回路をうまく働かせることができず、割り切れずにいたな。
まだまだ携わった仕事は数件だけど、そんな師匠のもとに集まってくる仕事は、クライアントもとてもピュアで熱く、仕事に向き合っている人が多いなあ、と感じている。
だから、私も、「このプログラムに携わる人よ、皆、どうかしあわせであれ!」「どうしたら、〇〇みたいな人が動いて、ひらけた未来に続くだろうか」とか、割とそこをピュアに考えられることがうれしいし、こんな時間があることにありがとうの気持ち。
もっともっともっと、多くの案件を師匠のもとで経験したい。いいコピーを書きたい。書けるようになりたい。
クライアントに、心からよろこんでもらえるような、感動してもらえるような仕事がたくさんできるコピーライターでありたい。
師匠とも、よい関係をずっと築いていきたい。
そんなふうにいまは思っている。
青二才のような私。
※まだ私が書いたコピーは世には出ていない。